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東京高等裁判所 昭和57年(う)1372号 判決 1984年6月13日

控訴人 被告人・弁護人

被告人 南崎幸男こと熊谷信幹 弁護人 内藤隆 外四名

検察官 宮崎徹郎

主文

本件控訴を棄却する。

当審における未決勾留日数中五六〇日を原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人内藤隆、同清井礼司、同竹之内明、同山崎惠、同中下裕子が連名で提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、東京高等検察庁検察官宮崎徹郎が提出した答弁書にそれぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

一  控訴趣意第一(法令適用の誤り等の主張)について。

1  爆発物取締罰則は違憲・無効であるとの主張について。

所論の要旨は、次のとおりである。

(一)爆発物取締罰則は、形式的に無効である。すなわち同罰則は、明治一七年に太政官布告として制定されたもので、旧憲法下においては、あくまで太政官布告として命令の形式のまま同憲法七六条一項によりその効力が存続していたにすぎず、議会により制定された法律ではないから、現憲法三一条、七三条六号但書に違反し、現憲法施行と同時に無効となつたものである。なお、同罰則を含むこの種の命令は、現憲法施行に伴う経過措置の法律である昭和二二年法律第七二号により、同年一二月三一日まで法律と同一の効力を有することとされたが、同罰則については同年法律第二四四号において法律としての形式が付与されなかつたのであるから、昭和二三年一月一日以降その効力を失つたものである。仮に百歩を譲つて、命令が規定する内容が現憲法の条項に反しないかぎり、現憲法下でもその効力を有する、との見解を採るとしても、同罰則は、その成立の過程、旧憲法下における運用の実態等に照らすと、現憲法一一条、一二条、一三条、一四条、一九条、二一条、三一条、三六条等に反する内容を規定した勅令であつて、同罰則全体が現憲法九八条一項により無効である。

(二)また、同罰則は、実質的にも無効である。すなわち、同罰則の各条項に共通する基本的構成要件である「治安を妨げる目的」という概念は極めて漠然としており、この点において罪刑法定主義に反しているばかりでなく、思想、信条の自由を侵害するために利用される危険性は極めて高い。また、各条項の刑罰が苛酷であり、しかも三条以下の各規定は、近代刑法の基本原理に全く相反するものであるから、同罰則は、実質的にみても、憲法一一条、一二条、一三条、一四条、一九条、二一条、三一条、三六条、三八条等に反する違憲無効のものである。

(三)原判決引用の最高裁判所判例は、いずれも同罰則を合憲としているが、弁護人は、原審において、これらの判例が変更されるべきであるとして、右(一)(二)の主張・理由を述べたのに、これになんらこたえることなく、具体的な理由も示さずに、右判例を引用し、同罰則を適用した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがあり、理由不備の欠陥もある。

以上のようにいう。

しかしながら、右理由不備の主張は、それ自体刑訴法三七八条四号の事由にあたらないことが明らかであるし、同罰則は旧憲法下において、形式上も旧憲法上の法律と同様の効力を有するものとして取り扱われていたものであつて、現憲法施行(昭和二二年五月三日)の際、現に効力を有する法律として取り扱われ、その後今日においても法律としての効力を保有しているものと解すべきであること、同罰則にいう「治安ヲ妨ケ」るとは、公共の安全と秩序を害することをいうものと解するのが相当であつて、その内容が罪刑法定主義に反するほど不明確なものとはいえないこと、同罰則は、所定の目的をもつて爆発物を使用するなどした行為を罰するもので、その行為者がどのような思想信条の持ち主であるかを問うものではないこと、同罰則の定める刑が残虐な刑罰とはいえないこと、同罰則所定の行為者に対し所定のような法定刑を定めることは立法政策の問題であつて憲法適否の問題でないことは、原判決が引用している最高裁判所の各判決のほか、最高裁判所昭和五三年六月二〇日第三小法廷判決(刑集三二巻四号六七〇頁)が明示しているとおりである。その他所論にかんがみつぶさに検討してみても、同罰則及び同罰則一条、三条の各規定が所論の指摘する憲法の各条項に違反するものとは認められない(同罰則のその余の規定については、本件と直接関係がないので判断のかぎりでない。)。

論旨は理由がない。

2  爆発物取締罰則に関する解釈が誤りであるとの主張について。

論旨は、要するに、原判決は、爆発物取締罰則一条及び三条の目的の解釈について、「治安を妨げ、又は人の身体財産を害する目的」をもつてしたと認めるにあたつては、「爆弾の使用などした者がその際当該爆弾が爆発すれば危険な結果を生じるであろうという一般的抽象的な認識をもつていたと認められるだけではいまだ不十分であり、少くとも、ある程度不確定な部分があるにせよ具体的かつ特定の目標に対して用いることを前提に、未必的であつても爆発によつて生じる具体的な加害結果を認識しながらそれをもあえて辞さず爆発させる意図をその際抱いていたと認められることを要する。」と判示し、この解釈のもとに本件につき同罰則一条または三条を適用処断したが、同罰則の目的があるとするには積極的な意図及び加害結果発生の確定的認識が必要であると解すべきであるのに、これに反する原判決の右解釈は全く独自のものであつて到底是認されるものではなく、このような誤つた解釈に基づく法令適用の誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

そこで検討してみると、同罰則一条及び三条は、「治安ヲ妨ケ又ハ人ノ身体財産ヲ害セントスル目的」(以下、便宜「加害目的」という。)を主観的構成要件要素とするいわゆる目的犯の規定であるとともに、このような目的に添う具体的な加害結果(以下単に「加害結果」ともいう。)の発生を要件としない、いわゆる危険犯の規定でもあつて、その立法趣旨は、同罰則一条及び三条所定の各所為が、それ自体としては必ずしも常に危険なものであるとはいえない反面、行為者の心情が、前記のような加害結果発生に向けられている場合には、危険性が極めて大であることを重視し、このような心情を伴わない単なる火薬類の不法所持や不法消費あるいは激発物破裂等の場合と区別し、自己の所為についての故意のほか、右のような「加害目的」がある場合には、具体的な加害結果発生の有無にかかわらず特に重く処罰することとして、このような所為を厳に禁圧しようとするにあるものと考えられる。

このような立法趣旨に照らし、右「加害目的」があるというためには、行為者において「加害結果」発生の可能性を単に認識するだけでなく、その心情として、「加害結果」の発生を「意図」することが必要であり、その発生を希求し、意欲する場合はもちろんのこと、これをよしとして認容し、あるいは少なくともやむをえないものとして受容する場合も、右の「意図」することにあたると解するのが相当である(以下このような心情を「加害の意図」という。)。

もつとも、このような「加害の意図」は、唯一、排他的である必要はなく、実験・宣伝・脅迫等の他の「意図」と併存することを妨げないし、また、そのような他の「意図」が主たるもので、右「加害の意図」が従たるものであつても差し支えない(最高裁判所昭和四二年九月一三日第三小法廷決定・刑集二一巻七号九〇四頁参照)。

更に、本件事案に即し、爆発物の使用の場合について考えると、人家の近くや街路などで爆発物を使用するときは、「爆発」の性質上、治安を妨げることはもちろん、人の身体、財産に危害を及ぼすおそれが大きいのであるから、それが、本来は、他の「意図」で行われたとしても、特別の事情のないかぎり、常に副次的に人の身体財産に危害が及ぶことがあつてもあえて辞さない心情、すなわち「加害の意図」が併存しているとみるべきであり、このような場合も、右「加害目的」のある場合にあたると解するのが相当である。

したがつて、「加害目的」があるといえるためには、常に「加害結果」発生に向けられた積極的な意図が必要である、とすることはできない。

また、「加害結果」発生の確実性についての認識は、未来の事象に関する因果の系列の予見の問題であつて、常に不確定要素を含むから、所論のように結果発生が確定的であることの認識を要件とするときは、厳密にいえば、そのような要件の充足はむしろ一般的にもありえないことに帰するであろう。現実にも、例えば本件のように時限装置付爆弾を使用する場合、時限装置に爆発時刻をセツトする時点と、爆弾が爆発する時点との間には一定の時間的間隔があるから、その経過する間に情況の変化がありうるのであつて、目標自体は不動的な「財産」であつても、爆発以前に発見撤去され、あるいは爆弾自体、もしくは時限装置の不備ないし故障により不発に終るなどのことも考えられ、まして、目標が可動的な「人の身体」である場合には、「加害結果」の発生はいつそう不確実であるとしなければならないであろう。

それゆえ、爆発物使用に関し、「加害目的」があるとするためには、「加害結果」発生の可能性があるとの考えのもとに、その発生を「意図」して爆発物を使用したことが認められれば足り、それ以上に、「加害結果」の発生が確定的であるとの認識を必要とするものではない。

所論指摘の原判示部分は、簡略なためやや明確性を欠くきらいがないではないが、その骨子は以上説示したところと同趣旨に帰すると解されるので、原判決に所論のような法令解釈の誤りはなく、論旨は理由がない。

二  控訴趣意第二、原判示第一事実(古堅方製造事件)における理由そご、事実誤認の主張について。

1  まず一の論旨(理由そご)は、要するに、原判決は、罪となるべき事実第一において、「(被告人は、)青砥から前記黄河作戦の話を再び聞かされ、同人においてはこれから製造する爆弾を右黄河作戦に用いる意図であることを知り、」と判示しながら、「被告人、弁護人らの主張等に対する判断」の第二の二の1においては、右第一の事実につき、被告人らが、「場合によつては青砥がこれを赤軍派の行なう黄河作戦で用い、警察官らを殺傷し又は交番などを破壊するのに役立てるであろうことを予期しながらその製造にあたつたものと認定できる。」としているのであつて、青砥が爆弾を黄河作戦で用いる意図を有していたかどうかに関する被告人らの認識の点について、前者では、青砥がそのような意図であることを被告人らが知つていたとしているのに対し、後者では、場合によつては青砥がそのような使用をするであろうことを予期していたにとどまつていたとしており、原判決には右の点において明らかな理由のくいちがいがある、というのである。

しかし、原判決は、右後者の説示部分の前で、「被告人らがその製造にあたり青砥の右のような説明や話を聞くことによつて、青砥が爆弾の製造や使用等の目標としているところや、被告人らが自ら右各爆弾を使用しなければ青砥がこれを持ち帰り黄河作戦において用いる意図であることを十分に理解し、」とも説示しているのであつて、原判決が「被告人、弁護人らの主張等に対する判断」の第二の二の1において説示しているところを全体的に通読してみれば、そのうちの所論指摘の右説示部分が意味するところと、罪となるべき事実第一の中の所論指摘部分のそれとの間に、実質的に著しいくいちがいがあるとは解されない。したがつて、原判決に所論のような理由のくいちがいがあるとは認められず、論旨は理由がない。

2  次に、二の論旨(事実誤認)は、要するに、原判決は、被告人が、青砥幹夫から、警察の機動隊や交番に直接爆弾を投げつけ、警察官らをせん滅するという「黄河作戦」の話を再び聞かされ、同人においてはこれから製造する爆弾を右「黄河作戦」に用いる意図であることを知り、ここにおいて、鎌田俊彦、西巻幸作、監物今朝雄および青砥と意思相通じ、治安を妨げるとともに警察官派出所の建物などを破壊し、警察官を殺傷するための爆発物を製造することを共謀し、右鎌田ら四名とともに、治安を妨げ、かつ人の身体財産を害する目的をもつて爆発物を製造した旨認定したが、青砥が提唱したとされる「黄河作戦」なるものは、当時被告人らを赤軍派に取り込むいわゆるオルグ活動にあたつていた同人が、被告人らに対する説得工作の材料として勝手に想定創作した作戦であり、全く実体のないものであるうえ、それも本件爆弾製造当時には同人から語られてはおらず、被告人らはもつぱら青砥から爆弾製造の技術を習得する目的で本件爆弾の製造に参加したものであつて、被告人には、青砥がこれから製造する爆弾を黄河作戦に用いる意図であることの認識は、未必的にもなく、右認定のような共謀も目的も有していなかつたのであるから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。

そこで検討すると、関係証拠によれば、被告人は、原判示第一の両日、原判示の古堅方において、原判示共犯者らとともに、青砥が持参した材料により、同人の指導を受けながら、鉄パイプ爆弾二個を製造しているところ、原判決も「被告人の経歴、犯行に至る経緯その一」において判示しているように、これより先、原判示の小砂川海岸における合宿において、オルグ活動のためにやつて来た赤軍派幹部の青砥から、赤軍派においては、新東京国際空港の建設を阻止するため、昭和四六年九月中旬以降に予定されている「三里塚闘争」の際、三里塚の現地や東京都内において、警察の機動隊や交番に直接爆弾を投げつけ、警察官らをせん滅するという「黄河作戦」を展開する予定である旨を告げられたうえ、鎌田俊彦らとともにこれへの同調参加を求められ、被告人ら(被告人とその共犯者のこと、以下同じ。)においては、組織的には赤軍派に抵抗を感ずる点もあつて、これに取り込まれる意思はなかつたものの、「三里塚闘争」における爆弾による武装闘争には賛同し、赤軍派と連携して国家権力に対する爆弾闘争に取り組むつもりであつたこと、また、原判決が「被告人、弁護人らの主張に対する判断」の第二の二の1で説示しているように、青砥は本件爆弾を製造した両日にも、その製造現場で被告人らに対し、製造を指導している爆弾は右のような戦いにおいて使用するためのものであり、爆弾製造の際の心構えとして単なる技術屋の遊びであつてはならず、具体的に使用するための爆弾を製造すべきである旨話していたこと、そして現実に製造された二個の本件爆弾は、原判示第一のとおり、いずれも鉄パイプの外周に格子模様の刻み目を入れ、その中にダイナマイトを充填し、かつ多数の鉄釘片をも詰めたもので、鉄釘片等の飛散による殺傷効果をねらつた手投げ用のものであつたことが認められる。そして「黄河作戦」が所論のような実体のない架空のものであつたとは認められないところ、青砥は本件爆弾を右作戦に使用する意図を有していたこと、他方被告人自身も、他の共犯者らも捜査段階においてはそろつて、本件爆弾は赤軍派の「黄河作戦」に使用されるものと思つていた旨供述していることにかんがみると、被告人らは、爆弾製造の技術を青砥から習得することを主たる目的としつつも、当時、同人が本件爆弾を前記のような「黄河作戦」に使用する意図であることを十分知りながら、その趣旨に賛同し、同人と共同してことを製造したものと認めるのが相当である。

所論は、原審証人青砥幹夫の供述には信用性がない旨主張するが、同供述は具体的かつ詳細であり、記憶がないか判然としない点はそのとおりに、また記憶を喚起して訂正すべきは訂正したうえ、繰り返しなされた弁護人らの反対尋問に堪えており、その供述内容に徴しても信用性を肯認することができるから、所論は採用できない。

また所論は、本件爆弾は、まだ起爆装置がつけられておらず、ダイナマイトがビニール袋に包まれたままの状態で充填されている点からみて、使用を前提としないものであることが明らかであり、このことからも、被告人には本件爆弾が「黄河作戦」に使われるかもしれないとの未必的認識もなかつたことが首肯されると主張する。しかし、起爆装置がつけられておらず、ダイナマイトの充填状態が所論のとおりであつたからといつて、その爆弾が、使用を前提としないものであるとは必ずしもいえず、所論は独自の見解であつて採用のかぎりではない。

さらに所論は、本件爆弾はつけられる起爆装置いかんにより手投げ式にも時限式にもなりうるのであるから、原判決がこれを手投げ式爆弾と認定したのは誤りであると主張するが、青砥は、本件爆弾の製造にあたり時限装置については一言も触れていないばかりでなく、被告人らに対し、明治公園において手投げによつて使用されたものと同様の爆弾を製造してみせたのであるから、これが手投げ式爆弾であることは疑問の余地がなく、所論は採用できない。

以上、要するに、被告人は、原判示のとおり、青砥から爆弾を製造する技術を学ぶことにあわせ、治安を妨げるとともに警察官派出所の建物などを破壊し、警察官を殺傷するための爆発物を製造することを原判示共犯者らと共謀し、その共犯者らとともに、治安を妨げ、かつ人の身体財産を害する目的をもつて本件爆弾を製造した旨の原判決の認定は、これを是認することができる。原判決に所論のような事実誤認があるとは認められず、論旨は理由がない。

三  控訴趣意第三、原判示第二事実(高円寺駅前派出所事件)における事実誤認の主張について。

論旨は、要するに、原判決は、原判示第二の事実につき、被告人が、共犯者らとの間で原判示高円寺駅前派出所に爆弾を仕掛けることを決定し、同派出所内の警察官らの負傷の結果を伴うおそれがあると認識しながら、それをもあえて辞さず爆発させる意図で、すなわち「人の身体を害する目的をもつて」爆発物を製造、使用した旨認定したが、被告人らの爆弾闘争の目的、本件爆弾の威力とこれに対する被告人らの認識、設置場所及び爆発時刻を選定した当時の被告人らの具体的意思、理解内容等に徴すると、右各犯行時、被告人らには、右派出所内の警察官らの負傷の結果を伴うおそれがあるとの認識はなく、まして、それをもあえて辞さず爆発させる意図もなく、したがつて「人の身体を害する目的」を有していなかつたものであるから、この点において原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。

しかし、人家の近くや街路などで爆発物を使用する場合は、それが本来他の意図で行われたとしても、特別の事情のないかぎり、常に副次的には人の身体財産に危害が及ぶことがあつてもあえて辞さない心情すなわち「加害の意図」が併存しているとみるべきであることは、前に説示したとおりである。その場合、使用する爆弾がたまたま手投げ式のものであれば、人の不存在を確認して安全に爆発させることも場合によつては可能であろうが、時限式爆弾の場合は、そのようなことがほとんど不可能であり、爆発時に人がその近くにいて身体に被害を受ける具体的可能性ないし概然性は常にあるといつても過言ではない。たとえ爆発時刻を深夜にセツトしても右の概然性が少なくなるだけのことである。この意味で、時限式爆弾の場合は、手投げ式爆弾の場合にくらべ、人身加害意図の副次的併存を否定することが、より困難であるとさえいえる。

これを本件についてみると、原判決が挙示する関係証拠を総合すれば、人身加害意図の点を含め、原判示第二の各事実認定は優に是認することができるし、この点に関し、原判決が「被告人、弁護人らの主張等に対する判断」の第二の二の2において説示しているところ、すなわち、被告人らが本件爆弾を製造し使用した主たる目標は、警察施設を物理的に破壊して、警察の権威を失墜させるとともに自己グループの存在も宣伝する政治的プロパガンダを行うことにあつたものの、本件爆弾は客観的に相当の威力(爆発の結果、設置地点の同派出所西側窓下地表に漏斗孔状の穴があき、同派出所の窓ガラスが破損し、更に鉄パイプの破片が道路向い側の商店の鉄製シヤツターを突き抜け、陳列中の缶詰の缶をも貫通。)があり、爆発の結果飛散する破片などによつて少なくとも人に傷を負わせる能力を有するものであること、被告人は爆薬に関するかなりの理論的知識を修得しており、本件爆弾が右のような能力を有し、爆発すれば人に危害を及ぼす客観的危険性があることを一応認識していたこと、本件の爆発時には現に三名の警察官が爆発地点に近接した同派出所休憩室で仮眠中であり、被告人らにおいても、爆発時刻に同派出所が無人であることを予期していたわけではなく、警察官が同派出所内にいることは当然の前提としていたことが認められるし、被告人らは警察施設の破壊を具体的な行為目標としていたものの、警察施設の破壊に際しこれに現在する警察官らになんらかの危害が及んでも、一般人の場合とは異り、それまでも絶対に避けようという気持まではなかつたことがうかがわれるとして、これらの事実と本件爆弾を仕掛けた状況、仕掛けた場所、爆発の結果を総合し、なお被告人らの捜査段階における自白をも併せて考えると、被告人らは原判示第二の各犯行にあたり、本件爆弾の爆発により、同派出所に居合わせた警察官らに少なくとも傷害の結果の生じる可能性があることは認識しながら、そのような傷害の結果発生もあえて辞さず爆発させる意図で本件爆弾の製造および使用を行つたことが認定できる旨説示しているところも、相当としてこれを是認することができる。

所論は、警察官に対しても、身体加害の意図がなかつた論拠として、被告人らの本件爆弾闘争は、前記原判示の政治的プロパガンダを行うことが目標であり、そのためには警察官も含め人身加害の結果は絶対に避けなければならず、人の殺傷を目ざす赤軍派の「せん滅戦」とは本質的に全く相反するものである。したがつて、原判決のいうように、同派の「黄河作戦」に呼応したものではないし、呼応しうるものでもなかつた旨主張する。

しかし、所論のような政治的プロパガンダを行う目的と「人の身体を害する目的」とは必ずしも矛盾するものとは解されず(殺害という世間を騒がせるような結果を惹起することこそ最大の宣伝であるとも考えられる。)、また所論のような政治的プロパガンダ闘争が赤軍派の採る「黄河作戦」なる戦術路線と必ずしも併存し、相呼応しえないものでもないと考えられるうえ、関係証拠によると、被告人らは本件爆弾の製造および使用を、警察官の殺傷を主たる闘争形態として提唱する赤軍派の「黄河作戦」に呼応して行つたものであることは明らかであるから、所論は前提において採用できない。

被告人らは、本件において、警察施設の物理的破壊を主たる目標とし、警察官を含める人の殺傷を直接の具体的目標とはしていなかつたものの、共犯者でありグループのリーダーである鎌田俊彦の検察官に対する昭和五五年四月一四日付供述調書(謄本)の中には、その謀議の段階において、グループ内に、時限起爆装置付ではなく、手投げ式爆弾を使うべきだとする意見もあつたが、当時組織内に使用可能な自動車がなかつたため採用されなかつた経緯がある旨の記載があるし、共犯者である西巻幸作の検察官に対する昭和四七年七月七日付供述調書(謄本)の中には、同人が、本件爆弾の製造及び使用にあたり、警察施設の破壊ばかりでなく、警察官を殺傷する結果となれば、そのほうがより政治的な宣伝効果が上がるとして、それを容認していた趣旨の記載があり、被告人の検察官に対する昭和五五年四月一〇日付供述調書(謄本)の中には、被告人もまた、警察官殺傷の事態が生じうることを容認していたかのような趣旨の記載があるのであつて、このような謀議の際の経緯や被告人及び西巻の考えに関する各供述調書(謄本)の記載を参酌してみると、被告人らは、本件爆弾の製造および使用にあたり前記の政治的プロパガンダ達成のため、警察施設の破壊を主たる意図としていたものの、副次的にはこれに現在する警察官になんらかの危害が及ぶことがあつてもあえて辞さない心情、すなわち人身加害の意図を有していたものと認められるのである。

そのほか本件爆弾設置の場所や爆発時刻を選定したことなど、その余の所論指摘の点をつぶさに検討してみても、原判決の事実認定に誤りがあるとは考えられない。

論旨は理由がない。

四  控訴趣意第四、原判示第五事実(連続交番事件)における事実誤認の主張について。

論旨は、要するに、原判決は、原判示第五の犯行、すなわち爆発物たる本件爆弾四個の製造と本富士警察署弥生町派出所および中野警察署における本件爆弾の各使用について、被告人らには「人の身体を害する目的」があつたと認定したが、被告人らは政治的プロパガンダを闘争目標としていたこと、爆弾製造時点での設置予定場所と実際の設置場所が異つているものがあり、弥生町派出所事件においては、当初、同派出所に近接している東京大学農学部の塀に仕掛けるつもりで、それに見合う爆弾を作製し設置方法を工夫していたものの、技術的難点があつたため、現場において急きよ右派出所の屋根に仕掛けたものであること、中野警察署事件においては、仕掛けた場所が同署の建物の脇にあつた遺失物自転車置場であり、しかも爆弾は一〇〇グラム前後のダイナマイトを充填した鉄パイプ一本にすぎなかつたこと、爆弾の威力とこれに対する被告人らの認識、爆発時刻を午前二時としたことなどを正当に評価すれば、被告人には警察官、市民を問わず、「人の身体を害する目的」は未必的にもなかつたことが明らかであるから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。

そこで検討してみると、原判決挙示の関係証拠を総合すれば、所論「人の身体を害する目的」の点を含め、原判示第五の各事実認定は、優に是認することができ、この点に関し、原判決が「被告人、弁護人らの主張等に対する判断」の第二の二の4において説示するところも、相当として首肯できる。

すなわち、原判決も認定説示しているように、被告人らのした本件爆弾の製造及び使用の行為は、被告人らが高円寺駅前派出所の爆破に引き続き、同時多発の方式により、都内数か所の警察施設を一斉に爆破し、これによつて警察の威信を低下させるとともに世間を騒がせようともくろんだもので、警察施設の物理的破壊による政治的な宣伝効果を直接の目的としたものであつな。(これによれば、治安を妨げ、人の財産を害する目的のあつたことは明らかである。)そして、本件爆弾が手投げ式ではなく時限式であり、一般通行人に対する被害を避けるため爆発時刻を人の通行のほとんど途絶える午前二時としたことなどからみて、被告人らが人の死傷の結果をできるだけ避けたいという意向を有していたこともうかがわれないではない。

しかし、政治的プロパガンダを行う目的と「人の身体を害する目的」とが必ずしも矛盾するものと解されないことは前にも述べたとおりであるし、本件において製造された原判示第五の一の(1) のダイナマイト爆弾は、一本一〇〇グラムのダイナマイト一〇本くらいを一つに束ねたもの、同(2) および(4) の各爆弾は、いずれも鉄パイプ一本に約一〇〇グラムのダイナマイトを充填したもの、同(3) の爆弾は、一つに束ねた鉄パイプ三本にそれぞれダイナマイト約一〇〇グラムずつを充填したものであつて、いずれも高円寺駅前派出所に使用された爆弾と同程度か、またはこれをはるかに超える量のダイナマイトが充填されており、関係証拠によれば、そのうち最も爆発性能が低いと思われる前記(2) の爆弾の場合であつても、爆発地点は中野警察署本庁舎一階東側会計厚生係室とコンクリート塀との間(幅員約一・五メートル)の自転車置場であるが、爆発の結果、右会計厚生係室東側の窓ガラス一六枚のほとんどを破損したうえ、付近に多数の破片(ガラス、鉄、真ちゅう等)を飛散させ、そのうち数個の鉄破片は右室内の中央付近にまで飛散しているほどの威力を有しており、最も強力と思われる前記(1) のダイナマイト爆弾の性能は、爆発の結果、弥生町派出所の厚さ約一五センチメートルのコンクリート製屋根に直径約四〇センチメートルのほぼ円形漏斗状の爆破孔を生じ、その直下の待機室内のスチール製机や窓ガラスを損壊し、三四メートル離れた道路向い側の店舗のガラスをも破損したほど強力なものであつて、いずれも人を殺傷する能力を有するものであり、被告人らは、高円寺駅前派出所事件の体験などから、右四個の本件爆弾の威力については十分認識していたものと推認される。

そして、被告人らは、都内の警察署または警察官派出所合計四か所に爆弾を仕掛けて午前二時ころ一斉に爆発させることの謀議を遂げ、そのために使用する爆弾として本件四個の爆弾を製造したものであること、そのうち前記(1) (2) の爆弾については、原判示のとおり、被告人自身が菊池廣とともに弥生町派出所と中野警察署を爆破するため使用したこと、以上の事実に爆弾を仕掛けた各場所や方法、さらには謀議の際、リーダーの鎌田俊彦が、「爆弾をやる以上警察官を殺傷することにもなるが、それはしかたがないじやないか。」と話をまとめた旨の供述記載が、被告人の検察官に対する昭和五五年四月一一日付供述調書中にあることなどを併せ考えると、被告人らは本件爆弾の製造と使用においても、高円寺駅前派出所事件の場合と同じく、副次的には、警察署や派出所の爆破に伴い金属破片等の飛散によつて警察官らに傷害の結果を生ずることがあつてもあえて辞さない心情、すなわち人身加害の意図があつたものと認めることができる。

そのほか、本件爆弾設置場所の変更や爆発時刻を深夜に選定したことなど、所論指摘の点をつぶさに検討してみても、原判示の事実認定に誤りがあるとは考えられない。

論旨は理由がない。

五  控訴趣意第五、原判示第七事実(クリスマスツリー事件)における事実誤認等の主張について。

論旨は多岐にわたるが、要するに、次のとおりである。

(一)原判決は原判示第七の一、二の事実(四谷警察署追分派出所に仕掛けた爆発物の製造、使用及び殺人未遂)につき、「人の身体財産を害する目的」の未必的存在ならびに警察官らに対する未必的殺意の存在を認定したが、被告人としては、本件爆弾を追分派出所に仕掛けるにあたり、当時の警察の厳重な警備警戒体制下では、同派出所の警察官の「みまわり」により、または通行人の通報により、設置後比較的短い時間で爆弾を警察に発見される概然性が高いと考えたのであるし、仮にそのような発見がなされなくても、被告人らがする予告電話が警察に通報されることにより、爆弾は確実に発見され、そして警察官らによつて、直ちに現場の交通規制がなされ、通行人らが安全に避難させられた後、本件爆弾が交差点の真中に運ばれ、砂袋で覆われ、やがて警察の爆発物処理班が来るが配線複雑で手を出せず、見物人が見守る中で、右のように砂袋に覆われて安全に爆発することになるものと予想していたのであるから、被告人には、未必的にも「人の身体財産を害する目的」はなく、警察官らに対する未必的殺意もなかつたのに、原判決が前記のような目的や未必的殺意があつたと認定したのは、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認である。

(二)原判決は、本件当時被告人らに「人の身体財産を害する」結果発生についての予見可能性があつたとして、「警察官らの爆弾の発見が遅れたりその処理が誤つたりすれば、傍らに多くの人たちの居合わせる中で爆弾を爆発させることとなり、爆発の結果、追分派出所の建物などを破壊するとともに、同派出所内にいる警察官や爆弾の傍らに近寄つていた人々の生命を奪うに至るおそれの高いことを当然予見しえたはず」である、と判示しているが、右「警察官らの爆弾の発見が遅れたりその処理が誤つたり」することについて被告人らが予見し、または予見可能であつたことにつき、原判決が根拠を一切示していないのは理出不備であり、原判決は破棄を免れない。

以上のようにいうのである。

しかし、右(二)の理由不備の主張は、それ自体刑訴法三七八条四号の事由にあたらないことが明らかであるし、原判決挙示の関係証拠を総合すれば、原判示第七の一、二の各事実認定は優に是認することができ、原判決が「被告人、弁護人らの主張等に対する判断」の第二の二の5において説示するところも、相当として首肯できる。

すなわち、原判示にもあるとおり、被告人らは、昭和四六年一二月二四日クリスマスツリーに偽装した原判示第七の一の爆弾を製造し、同日の午後七時一〇分ころ爆発するようにその時限起爆装置をセツトしたうえ、これをその日の午後六時三〇分ごろ追分派出所の南東側壁に近接した地面上に仕掛けたのであるが、本件爆弾は、約五〇〇グラムのダイナマイトのほか、アンホや黒色火薬も詰めものとして相当量用いられているもので、関係証拠によれば、爆発の場合、爆心から半径一メートルの範囲にいる者に対しては爆風圧により致命傷を負わせる可能性があり、その破片効果は爆心から半径数十メートル以内においても人を殺傷する危険性を有するものと推定され、その爆発の結果からみると、現に被害者大野文次に瀕死の重傷を負わせているほか、爆発地点から約二七メートルの範囲にまで爆発物の破片を飛散させており、派出所の鉄筋コンクリート造りの壁面を深さ約四センチメートルも爆砕し、その入口、南側および北西側の窓ガラスのほとんどを破損し、更に爆発地点から約三・八メートル隔たつたビル内にある飲食店のガラス製シヨーケース、ガラス戸などをも破損しているなど威力の大きなものであつて、優に人を殺傷したり、建物などを破壊する能力を有するものであることが明らかである。

そして、原判示にもあるように、被告人らにおいても、理論上の計算はともかく、過去の体験からして本件爆弾が相当の殺傷能力や破壊力を有するものであることは十分に認識していたものと推認されるし、また、これを仕掛けた場所は警察官の常駐する追分派出所の側壁に近接した地面上であり、同派出所は、デパート「伊勢丹」前の交差点の角の車道と歩道に挾まれた位置にあつて新宿の繁華街の中にあるため、そのそばを通る一般通行人は多く、特にクリスマスイブの午後七時すぎごろには、かなりの人混みになることも十分認識していたことが明らかであるから、このような時と場所で、本件爆弾が爆発すれば、同派出所の建物などの破壊はもとより、付近に居合わせた警察官や通行人らをほとんど確実に殺傷するおそれのあることを、被告人らとしては当然予見していたものと認められる。

そのような予見を持ちながら、あえてこのような時と場所を選び強力な時限爆弾を仕掛ける者が、それでも人の身体財産に危害を及ぼす意図は全くないといえるためには、みずからこれを撤去するか、これに匹敵するほど確実な危険防止措置を講ずべきであつて、そうでないかぎり、原判示第二、第五のどの場合にも増して、人の身体財産に対する「加害の意図」があつたとの強い推認を受けることは、むしろ当然というべきである。

所論は、被告人が、前記のとおり、本件爆弾は、当時の警備警戒体制下では、警察官または通行人によりすみやかに発見されるであろうし、仮にそうでなくても、被告人らの新聞社に対する予告電話により、警察の手により確実に安全かつ適切な対応措置がとられるものと認識していたのであつて、人身被害の結果は全く予見していなかつた、と主張する。

たしかに、本件当時、爆弾闘争に対する警察の警備警戒体制は、所論のように厳重を極めていたことがうかがわれるが、しかし、派出所勤務の警察官のいわゆる「みまわり」が他の用務のため行われないことも当然ありうるし、そもそも本件爆弾はクリスマスツリーに偽装され手提紙袋に入れて仕掛けられたものであり、当時の時と場所柄通行人らがこれを見たとしても不審物であるとか爆弾であるとか気づきにくい外観を呈していたのであるから、爆発予定時刻までの三、四〇分間に必ず発見されるとはかぎらない。また、クリスマスイブの宵であるから、酔いの戯れに通行人などが位置を変えたり、持ち去ることも全くありえないことではない。

更に、所論の予告電話につき、当時の世情を十分考慮してみても、新聞社に予告電話をしたというだけでは、特に警察に通報するよう依頼でもしないかがり、いわゆるいたずら電話と間違われて警察に通報されないおそれがある。現に、本件においては、爆発の予告が新聞社から警察に通報されず、爆発直前まで爆弾が発見されなかつたのである。

仮に、所論が主張する被告人の予想どおり、新聞社にした予告電話が警察に通報され、本件爆弾がすぐ発見されたとしても、爆弾を仕掛けてから爆発まで三〇分ないし四〇分間という短時間のうちにクリスマスイブでふだんより雑踏を極めている宵の新宿追分交差点において、大勢の歩行者を安全な場所に避難させるとともに、四方から陸続と往来する多数の車両を反転、迂回させ、同交差点の交通を完全に遮断し排除したうえ、所論主張のように本件爆弾を爆発させることは、多数の警察官の手によつても容易でないことが明らかであり、安全に処理されないまま危険な状況のもとで爆発に至ることのありうることも、被告人らが捜査段階で認めているように、被告人らの予見の範囲内にあつたと認められる。

してみれば、被告人らは、本件爆弾の製造と使用においても、原判示第二、第五の犯行におけると同じく、政治的プロパガンダを主たる闘争目標としており、一般通行人に対する危害はできるだけ避けたいと考えていたとはいえ、副次的には、少なくとも追分派出所などの警察施設が破壊されたり、爆弾を処理しようとしてこれに近づく警察官らに死傷の結果が生ずることがあつてもあえて辞さない心情、すなわち人の身体財産に対する「加害の意図」があつたもの、また、警察官らに対する未必的殺意があつたものと認めるのが相当である。

原判決に所論の事実誤認は認めることができず、論旨は理由がない。

六  控訴趣意第六、量刑不当の主張について。

論旨は、要するに、被告人に対し懲役二〇年の刑を定めた原判決の量刑は、重きに失し不当である、というのである。

そこで検討すると、本件は、被告人が、時限式爆弾等を製造、使用して警察施設を破壊するとともに社会不安を醸成することにより、我が国に暴力革命の気運を盛りあげていこうという考えから、仲間らとともに、

(一)治安を妨げ、人の身体財産を害する目的をもつて、四回にわたり、鉄パイプにダイナマイトを充填した爆弾やダイナマイトを束ねた爆弾、更にはクリスマスツリーに偽装した爆弾など合計八個の爆発物を製造し、そのうち三個をみずから警察施設に仕掛けて爆発させ、追分派出所に仕掛けたクリスマスツリー爆弾では、その爆発により警察官一名に瀕死の重傷を負わせたほか、受傷させた六名の通行人中五名にもそれぞれかなり重い傷害を負わせ(殺人未遂)、これらの犯行の間に仙台市にある米軍通信施設にも多量のダイナマイトを用いた時限式爆弾を仕掛けて爆発させ、

(二)その間、爆弾闘争に使用するため、(1) ダイナマイト(一本五〇グラムのもの)約六〇本、アンホ(硝安油剤爆薬)約三〇〇グラム、電気雷管約五〇個、工業用雷管約五〇個、導火線二巻等を窃取し、(2) これら爆発物等を自己居室に隠匿所持し、

(三)同様の目的で、(1) ダイナマイト(一本一〇〇グラムのもの)二二五本を窃取し、(2) これを、共犯者宅に隠匿所持し、

以上の犯行後における逃走生活中、

(四)法定の除外事由がないのに、単独で二か所において改造けん銃合計三丁、火薬類であるびよう打銃空包一二四発及び銃用雷管五個を所持した、

という事案である。

右爆発物関係の犯行(原判示第一ないし第七)についてみると、被告人らが製造した爆発物は、いずれも爆発力の強烈なダイナマイトを用いた爆弾であり、古堅方で製造し青砥が持ち帰つた二個は手投げ式爆弾であるが、その余はすべて時限式爆弾であつて、そのなかにはダイナマイトを数本使い、あるいは一〇本くらい使つて製造した強力な爆弾もあるところ、被告人は、これらの爆弾全部の製造に関与したうえ、みずから、米軍通信施設を爆破したほか、三個の時限式爆弾をすべて市街地の中の警察施設に仕掛けて爆発させ、また、クリスマスツリー事件の場合には、わざわざクリスマスイブの宵の新宿伊勢丹前という人通りの多い場所、時間帯を選んで仕掛けることの共謀に関与しているのである。

被告人らは、政治的プロパガンダが主たる目的であつたとはいえ、いずれの場合も人の財産はもとより、人の身体に危害が及びかねないことを承知のうえ犯行に及んでいるのであり、かつ、爆発物の使用の態様も、時限式爆弾を紙袋に入れ、あるいは新聞紙に包んでさりげなく目標の派出所等の付近に置いてくるというもので、みずからは爆発による危険や検挙を避けつつ確実な爆発を期するという巧妙かつ卑劣なものであり、人間性を無視した、反社会性の極めて強い犯行というほかはない。

しかも、被告人らのした各爆発物の使用行為は、治安を妨げ、人の身体財産を害する危険性の高いものであつて、現に、高円寺駅前派出所事件及び弥生町派出所事件においては、目標の施設のみならず周辺の商店等にも物的被害が発生しており、また、中野警察署事件や米軍通信施設事件においても、当然のこととはいえ、目標の施設に物的被害が生じており、クリスマスツリー事件では、建物が破壊され、付近のビルのシヨーケースやガラス戸、看板等が破損された等の物的被害にとどまらず、ついに原判示のとおり、警察官一名に加療六年六か月以上を要する右眼失明、左大腿切断、右下腿複雑骨折等の重篤な傷害を負わせたほか、受傷させた無この市民六名中五名にまで加療一か月から三か月に及ぶ重傷を負わせるという、重大な人身被害まで発生しており、これら一連の犯行が社会に与えた不安と衝撃の大きさは、測り知れないものがある。

また、本件犯行は、暴力革命、武装闘争を志向する鎌田グループなる集団が、鎌田俊彦をリーダーとして、周到な謀議を重ね、各人の役割分担を決め、下見をするなどしたうえ犯行に及んだ組織的、計画的なものであるところ、被告人が鎌田俊彦に次ぐ指導的地位にあつたとは即断できないにしても、被告人は、秋田大学の集中講義を受けるなどして研究修得した爆弾製造技術を駆使活用し、爆弾製造の最高責任者として、各犯行に積極的、主動的に参加し、共犯者西巻幸作にも爆弾製造法を指導するなど極めて重要な役割を果したものであり、被告人の参加なくしては、一連の本件各爆弾の製造使用は困難であつたと言つても決して過言ではない(この点に関し、被告人の地位、役割は西巻幸作に比し次第に低下して行き、クリスマスツリー事件においては、もはや被告人は従属的、幇助的立場で関与したにすぎない旨の所論は、とうてい採用することができない。)。

加えて、原判示第八の改造けん銃等不法所持の犯行も、かかる犯行に出た基盤には爆弾の製造使用等の犯行におけるのと共通のものがうかがわれ、危険性も少なくはなく、その刑責も軽視することは許されない。

以上の点に関する原判決の判示は、いずれも相当として肯認できる。

したがつて、被告人らが爆発物の使用にあたり、爆発時刻を深夜とし、あるいは予告電話を新聞社にかけるなどして、人身被害の発生をできるだけ回避しようと努力していたこと、クリスマスツリー事件の犯行も警察官らの身体に危害を加えることを直接的な目的としたものではなかつたこと等犯情として参酌できる事情のほか、長期間にわたり身元を隠しながら各地を転々とする逃亡生活を送り、精神的に苦しみながらも、逮捕されるころには周囲の人たちから相応の信頼を得る生活をしてきたこと、自己の犯した罪の重さを被告人なりに真剣に受けとめ、今後はかかる行為に出ることなくみずからの社会的責任を果したいと考えるようになつており、反省の態度も認められること、原審において、両親や弁護人を通じ被害者に対し慰謝しようと努め、更に当審において、父親や弁護人を通じ一部被害者に対し謝罪と慰謝の方法をとつたことなどを、できるだけ被告人のため有利にしん酌しても、以上有利不利のすべての事情に被告人の年齢・身上関係、すでに刑に服している共犯者らとの刑の均衡も総合考慮してみると、被告人に対し懲役二〇年の刑を定めた原判決の量刑は、現在においても重すぎて不当であるとは考えられない(なお、所論は、青砥に対する懲役二〇年の科刑との不均衡を主張するけれども、同人に対する事件は、無この一般通行人をも被害者に巻き込んだクリスマスツリー事件を頂点とする一連の本件爆弾事件とは、事件の性格、内容、情状を異にしていると認められるから、両者の量刑を形式的に比較することは相当でない。)。

論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、当審における未決勾留日数の算入につき刑法二一条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鬼塚賢太郎 裁判官 杉山忠雄 裁判官 苦田文一)

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